おさかな

魚類です。

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Cake day: September 5th, 2025

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  • 「存在しないものは存在しない」の意味の2つの書き方を提示されていますが、両者は同じ意味だと思います。たぶん論理式で書くとわかりやすいかと。

    記法の約束として、命題P(x)が正しいとき単にP(x)とかくとします。(e.g. P(x) = "xはうまい"として、P(ラーメン)は"ラーメンはうまいは正しい"の意味)

    また、P(x)の否定が正しいとき ¬P(x) とかきます。

    さて、P(x) = xは存在する. として、「存在しないものは存在しない」は次のように書けます。 ¬(∃x ¬P(x)) この外の¬を計算してやると ∀x P(x) となります。

    雑な説明で恐縮ですがどうでしょう。

    追記:表題の言葉に違和感を感じるのは、自己言及してる命題だからだと思います。


  • 唯物論がどのようなものがよく知らないのですが、次の主張は唯物論的だといえるものでしょうか。

    主張: 人間の感情というのは、脳内のニューラルネットが学習した結果というか、動きのパターンから適当な同値類を作って名前をつけたものである。

    私としては、このような考え方には夢があってよいなと思っているものですね。


  • 実際の空間が4次元以上なのに、人間の認識力や創造力の限界で、4本の棒を直交させることができない、という可能性は、あるんでしょうかねえ。

    それは思いますね。はじめから相対論がインストールされてる生命体がいた場合、それらは世界は4次元だろ、とか言うのかなと。我々の認識する空間は4次元時空に埋め込まれた曲がった3次元多様体だとかいいますし。



  • それを越える方位を人々は観測できません

    この感覚に近いものは感じます。例えば、棒を3本持ってきて全てを直交するように並べることはできると思っています。また、4本以上ではできないとも思っています。ほな3次元っぽいなあ、と。

    さて、魚や鳥などは3次元空間中を運動しているようだ、というのは納得できます。一方、蟻や人間の運動する範囲はほとんど2次元平面に限られる(横の移動距離 << 縦の移動距離みたいなイメージ)と思います。そうすると大域的には2次元みたいだなあ、と。 向きを表すことばが平面方向には豊かだが、縦方向は豊かでないのはこの現れなのかなと思いました。例えば、南南東、4時の方向、はす向かい等方位角を表わす表現は多くあるが仰角を表す表現はあまり無いような感じがします。



  • ダメージ衣類とプラモデルの汚しは類似点があるかな、と思いました。

    私はプラモデルを作ったら汚したくなる人間です。例えば戦車の模型に砂や泥、錆の汚れ、塗装剥げ加工など。当然模型なので、それら汚れが実際につくことはありません。しかし、見栄えのためにわざと汚したり破損させたりします。なぜなら、汚れや破損で模型がかっこよく見えると思っているためです。これと衣類の類似点は、破損の過程は無いが結果だけ模倣している点だと考えます。

    では、何故模型に汚し加工をするかです。これは、長く使用されて紫外線で塗装の痛んだ戦車、工場出荷したてのような綺麗な戦車を比較したとき、前者のほうが歴戦の個体っぽさがあってかっこいいなと思っているためです。

    この考えがダメージ衣類へ適用できるとした場合、破損するほど使いこまれた歴戦の衣類を演出できてうれしい、といったところでしょうか。私はダメージ衣類を使わないのでこの感覚があっているか分かりませんが。