「しない善より、する偽善」という言葉がありますが、この言葉が正しいと思うかどうかは、人によって分かれるところだと思います。「偽善は絶対だめ」と考える人もいるでしょう。みなさんはどっちですか? それはなぜですか?
You must log in or register to comment.
募金してる俺かっこいー、とか思いながら募金するというのは、ここでいう「する偽善」にあたりますかね。その場合、する偽善は肯定的に捉えています。我々が外から見れるのは思考した結果の行動だけでなので、思考がどうあれ行動がよければ満足かなと。
「する偽善」が完全な「偽善」ではなく、善き側面の行いも内包することが多い、というのと、
募金という行為をしている人間に対して完全に「募金してる俺かっこいー」という利己的感情が生まれないかと言われれば否定は難しいところだと思います。なのでそれを「偽善」と呼ぶなれば、「偽善」を完全に含まない「善」というものは稀有であり、利己的感情があったとしてもそれが多少なれど社会に善く働くならそれは動いたほうが良いという考えでしょうか。
「しない善より、する偽善」の標語の「偽善」は他者を欺く完全な「偽善」の意味ではなく、
- 多少利己的な感情があってもそれが社会にいい影響を及ぼすと思うならしなさい
- ネット空間で顔も見えないから善人悪人なんて判断しようがない、でも合わされば善くなるはずだ
という意味を含むのではないかとおもっています。
個人的には社会集合体にとって損よりも益があり、なおかつ個人的な満足にもつながるなら「しない善より、する偽善」は正しいのではないかと思います。



