我々が生きている空間はどのようなものかと言われたら、ほとんどの人は3次元Euclid空間だと答えるでしょう。なぜ4次元でも2次元でもなく3次元で表現できる思っているのでしょうか。もしくは、空間が3次元であることを確かめる術は知られているのでしょうか。
我々が生きている空間はどのようなものかと言われたら、ほとんどの人は3次元Euclid空間だと答えるでしょう。なぜ4次元でも2次元でもなく3次元で表現できる思っているのでしょうか。もしくは、空間が3次元であることを確かめる術は知られているのでしょうか。
生活感からだと思います。人々は地上で暮らしてますが、地上は2次元です。他に観測できる次元は空飛ぶ魚と海の鳥…じゃなかった、空飛ぶ鳥と海の魚くらいです。その上下方向を足して3次元です。それを越える方位を人々は観測できません。
この感覚に近いものは感じます。例えば、棒を3本持ってきて全てを直交するように並べることはできると思っています。また、4本以上ではできないとも思っています。ほな3次元っぽいなあ、と。
さて、魚や鳥などは3次元空間中を運動しているようだ、というのは納得できます。一方、蟻や人間の運動する範囲はほとんど2次元平面に限られる(横の移動距離 << 縦の移動距離みたいなイメージ)と思います。そうすると大域的には2次元みたいだなあ、と。 向きを表すことばが平面方向には豊かだが、縦方向は豊かでないのはこの現れなのかなと思いました。例えば、南南東、4時の方向、はす向かい等方位角を表わす表現は多くあるが仰角を表す表現はあまり無いような感じがします。
実際の空間が4次元以上なのに、人間の認識力や創造力の限界で、4本の棒を直交させることができない、という可能性は、あるんでしょうかねえ。
人間以外の動物は、人間が作れるような高度な道具を作ることができませんが、それは人間の認識力や創造力が動物より優れているからだと考えられます。逆に言えば、人間より優れた知性体がもし居れば、人間には作れない高度な道具を作っちゃうんでしょう。
とすると、高次の知性体は、この現実空間の中で、4本の棒を直交させることができてしまう可能性も、無きにしもあらず、と思ったりもするのです。
それは思いますね。はじめから相対論がインストールされてる生命体がいた場合、それらは世界は4次元だろ、とか言うのかなと。我々の認識する空間は4次元時空に埋め込まれた曲がった3次元多様体だとかいいますし。
相対論を知ってる人は世界を4次元だと言うけど、それはユークリッド空間じゃなくてミンコフスキー空間だから、世界は3次元だと言った場合と直接比較はできませんよね。まぁ空間構造の違いも含めて高次元だと言えるのかもしれませんが。
物理学では相対論で時間を空間と一緒に扱うのが普通になってますが、哲学ではまだまだ時間は特別なもので、空間と一緒に扱うのには抵抗がある場合も多いようです。それに物理学でも一般相対論と量子論はまだ統合できてないわけで、もしかすると時間の扱いにまだ秘密があるのかもしれませぬ。