かれは
何気に理学博士(物理)。でも薄給プログラマで食い繋ぐ生活。唯物論者。インコ第一主義。生存時間がようやく半世紀を越えた。
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相対論を知ってる人は世界を4次元だと言うけど、それはユークリッド空間じゃなくてミンコフスキー空間だから、世界は3次元だと言った場合と直接比較はできませんよね。まぁ空間構造の違いも含めて高次元だと言えるのかもしれませんが。
物理学では相対論で時間を空間と一緒に扱うのが普通になってますが、哲学ではまだまだ時間は特別なもので、空間と一緒に扱うのには抵抗がある場合も多いようです。それに物理学でも一般相対論と量子論はまだ統合できてないわけで、もしかすると時間の扱いにまだ秘密があるのかもしれませぬ。
古代ギリシャの哲学者たちは、面倒な仕事は奴隷たちに任せてるので、暇で暇で仕方無いので、無意味な議論をして時間を潰してました。それが哲学の始まりというわけです。学問の意味のスクール、スカラなどの語源は、古代ギリシャ語で「暇」という意味です。
哲学の唯一の機能は、無意味な議論をして時間を潰すことです。答えの無い問題をテーマにするのは、そのためです。永遠に暇を潰せますからね。
哲学者には2つのタイプがあります。幸せな哲学者と、不幸な哲学者です。幸せな哲学者は、幸せなので、もう他にすることが無いので、哲学で暇を潰します。不幸な哲学者は、絶望していて自殺しそうなので、気を紛らわすために哲学で自殺を延期します。結果的に、人が生きるための役に立っていると言えば、そうも言えるでしょう。生きることが良いことかどうかは別ですが。
実際の空間が4次元以上なのに、人間の認識力や創造力の限界で、4本の棒を直交させることができない、という可能性は、あるんでしょうかねえ。
人間以外の動物は、人間が作れるような高度な道具を作ることができませんが、それは人間の認識力や創造力が動物より優れているからだと考えられます。逆に言えば、人間より優れた知性体がもし居れば、人間には作れない高度な道具を作っちゃうんでしょう。
とすると、高次の知性体は、この現実空間の中で、4本の棒を直交させることができてしまう可能性も、無きにしもあらず、と思ったりもするのです。
生活感からだと思います。人々は地上で暮らしてますが、地上は2次元です。他に観測できる次元は空飛ぶ魚と海の鳥…じゃなかった、空飛ぶ鳥と海の魚くらいです。その上下方向を足して3次元です。それを越える方位を人々は観測できません。
いわゆる「メンション」すなわち「誰かに通知」ないし「誰か他者を参照」に当たる機能を手探りしてみた。 「@kareha」などと@を着けてユーザ名を書くと、そのユーザが存在する場合は候補が表示されるので、それを選ぶとリンクに変換される。 どうやら Markdown 形式でリンク化されるようだ! こんな感じ : @[email protected] ←
[//philosophy.cafe/u/kareha)
.cafe](https:
あっ、ひょっとして、「フェディバース」がひとつの「連合」なのは確かだけど、「フェディバース以外」もひとつの「連合」なんじゃ? 対立する2つの連合。そゆこと?
ふむふむ。ふむ?
ああ、やっぱり広義としてはインターネットプロトコルもフェデレーションなんだ。 でもそうすると何もかもフェデレーションになってしまうから、インターネットが「俺がフェディバースだ!」とか言い出しても止められません。
でも連合の原義としては、連合している限り要素たちは味方どうしという意味が含まれているはず。 なので、インターネット上の敵対勢力どうしが同じ連合に入っているとは理解しにくい。
我々の問題にしているフェディバースが、どのレベルの連合なのか、何らかの制約が必要な気がします。 @[email protected] さんが持ち出した、「大資本」(と「その他」を暗喩)、「自分たちの居場所を自分で持つこと」(と「追い出す者ども」)、という対立軸が意味するところが、フェディバースには含意されてると想像できるような気がしないでもない。
理系の方がカネが掛かる、だと‥?! 今の今まで、そんなこと知りませんでした‥ orz 上の数字では結構な比率ですね。 しかも投資が回収できないという‥。
親か、親の理解が無いせいか。 まぁうちの母者がたまたま、数学教師に成ることを夢見てたけど家族の理解が無く「ようちえんのせんせい」に成ったカワイソウな人だったので、学歴コンプレックスばりばりで、私はそれを利用して楽をさせてもらっただけです。
私が高校のときは、数学の先生が「数学さえやれば X X 大学に入れます」と言うので、私は「へぇ〜、そんなものなのね〜」って信じて着いて行ったら、確かに楽勝でした。まぁ恩師と呼ぶべきでしょうね、あの老師を。
迷いはありましたよ。倫理政経の先生の哲学論議がめちゃ面白かったので、「哲学もいいな‥」と思ったけど、「食いっぱぐれるだろうな‥」と思ってやめました。 まぁどっちにしろキビシイ。物理を選んでもプログラマのアルバイトでギリギリ食い繋いで来たので。
議論システムなのに「興味の無いトピックは無視できます」というところが良いですね。 別に私は他者をブロックする予定はありませんが、もし誰かが絡んで来たら、「嫌なら見るな!」と言う根拠が保証されているわけです。 それでも絡まれたら、こっちからブロックすれば良いわけだし。 安心して真面目なふりしてちゃらけられます。 (いや逆か?)
ダメージジーンズは「自発的な対称性の破れ」です。あらかじめ完全な対称性を持っていると不安定なので、みずから対称性を破ることで安定化するのです。 なお、ここで言う「対称性」は「綺麗に整っている」程度に軽く解釈してください。単なるメタファーですので。
ジーンズがみずから対称性を破っているわけでは無いって? そんなあなたには「破調」です。完全に回転対象な壺を、敢えて「ぐにゃら化」して「おおお、さらに美しくなった! 価値が高まった!」とか言うアレです。 音楽で言うならシンコペーションです。「タッタッタッタッ」と無限に規則正しくリズムを刻んでも眠くなるので、「タタータタタータ」と一部飲み込んで楽しくなっちゃうアレです。
コスモを感じてください! まぁ要するに理解不能です。
なんですかあなたは唯物論者ですか! いえ、あなたの言うとおりだと私も思います。
(糸冬)
でも世の中には、それで納得できない人たちが沢山いるようなんですよ、助けてください、共に唯物論を広めましょう! いえ、別に広めなくても、実際は誰もが物理法則に従ってるだけなので、良いと言えば、良いんですけど‥。 でも真実を知らずにヌルイ幻想に従ってる人たちがルール(w)とか決めて強制して来るの、嫌じゃありませんか?
議論は「論理の共有」が目的、文学は「感性の共有が目的」とするなら‥ 写真は‥「視覚の共有が目的」として、どちらにも関わって来る気がする。
議論で写真を使う場面は、写真をある種の「命題」として使うし、 文学で写真を使う場面は、写真をある種の「心象風景」として使うのではあるまいか。
マイナーなソフトウェアの技術者以外との意見交換とかだと、Redditくらいしか対話の場が無い、とかいうものも、しばしば。なので成り行きでRedditを使ったことはありますが、私は深く探求したことがありません。「なんであんなに流行ってるんだろ?」という疑問は持ってましたが‥。そう言えば、Slashdotなんかも特徴を良く把握してませんね。
そうですね、「居場所が無い‥」が大きな社会問題であるゆえ、フェディバースがひとつの対抗策になるのは良いことです。根底には、やはり「自由であること」があるのでしょうね。インターネットが普及したのも、やはりその自由さゆえ、ゆえ。まぁ昨今では原初の自由は、かなり失われてしまいましたが。
現在のフェディバースのプロトコルって、具体的には、いくつか種類がありますよね。マストドンとか古めのヤツだと、新しい方式に乗り替えて来た歴史があるようでした。と言うことはですよ、フェディバースという概念の中心は「特定のプロトコル」ではなく、「プロトコルの設計理念」、言うなれば「メタプロトコル」とでも呼べるようなものにあるのでは?
「草の根ネットの集合体」と聞くと、私は20年前くらいに盛んだった「自宅サーバ」の「ウェブリング」などを思い出しますね。フェディバースが広がったのはツイッターの成功体験(体験というか前例)があったからですが、確かに今後フェディバースがソーシャルメディア以外の分野で発展するとすれば、期待感にワクワクしますね。
そうですね、それは、とても唯物論的だと思いますよ。人間の感情など精神的なものが、それ自体に本質が無く、物質や物質の分布あるいは作用によって表現されるものだ、という考えは、確かに唯物論的です。
唯物論的な表現が夢があるかどうかは、人によって感じ方が違うようですね。多くの人たちは物質は精神より下等なものだと考えているらしくて、精神が物質で表現できるという主張には拒否反応を示すようです。