自由意志が存在することを疑わない人、薄々疑ってる人、存在しないと主張する人、存在しないと言われると怒る人、そもそも哲学的なことなど一切考えない人‥。主張や態度は様々ですが、この「自由意志」は、必要なものなのでしょうか? もし必要なら、いったい何のために?
私が知る限りでは、現代の法哲学の根本には、「人間には自由意志があり、それゆえ責任が生じる」という前提が、あるそうです。なので、自由意志が存在しないと、誰にも何の責任も存在しないことになり、誰をも罪に問うことが出来無くなってしまうというのです。
そんなものですか? ご意見、ご感想、ご文句、ご論議、よろしくお願いします。
「人間には自由意志があり、それゆえ責任が生じる」
「責任」ってなんでしょうか。
せき‐にん【責任】 1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての責任がある」「責任を果たす」 2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の責任をとる」「責任転嫁」 3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。 [類語](1)(2)責務・義務・任務・本務・使命・職責・重責・責め・務め・文責・言責・任・役目・役・役儀・分・本分・職分・課業・日課 デジタル大辞泉より
私は連想する言葉として
- 償い
- 責任感
- 役目
などを思い浮かべますが、それぞれ責任に関連していると思いますし、それ自体が責任であるとも言い切れないと思います。
これは感覚でしかないですが、世の中にある全ての物質は物理法則に則って動いていると解釈することができるように思います。
そのように突き詰めたら、我々に本当の自由意志は存在せず、ただ、物質が宇宙の始まりから法則に従って動いているだけだと解釈することができます。
「人間には自由意志があり、それゆえ責任が生じる」
と前提を設置するのも物理法則に従っただけの結果に過ぎず、法則に決められたレールの上を辿っているだけなのであれば?と時々考えてしまいますね。
なんですかあなたは唯物論者ですか! いえ、あなたの言うとおりだと私も思います。
(糸冬)
でも世の中には、それで納得できない人たちが沢山いるようなんですよ、助けてください、共に唯物論を広めましょう! いえ、別に広めなくても、実際は誰もが物理法則に従ってるだけなので、良いと言えば、良いんですけど‥。 でも真実を知らずにヌルイ幻想に従ってる人たちがルール(w)とか決めて強制して来るの、嫌じゃありませんか?
唯物論を"信じる"時点で"自由意志のようなもの"が感覚として存在してしまうのですよね…笑 本当は感情や意志というものには物理法則が先にあって、後付けでしかないという理屈はわかりますが、やはり"考える主体"としては受け入れたくないというのが直感なのでしょう。 それを"信じている"と確信してしまうと自身のなかでの"意志"を認めることになるので、物理法則の〜が自然に否定されることになってしまうような気もします。