これは感覚でしかないですが、世の中にある全ての物質は物理法則に則って動いていると解釈することができるように思います。
そのように突き詰めたら、我々に本当の自由意志は存在せず、ただ、物質が宇宙の始まりから法則に従って動いているだけだと解釈することができます。
「人間には自由意志があり、それゆえ責任が生じる」
と前提を設置するのも物理法則に従っただけの結果に過ぎず、法則に決められたレールの上を辿っているだけなのであれば?と時々考えてしまいますね。
Lemmyについての説明がなかったですね…トピックを立ててくださったのでここで説明しようと思います。
公式サイトには以下のように説明があります。
Lemmyはセルフホスティングタイプのソーシャルリンクアグリゲーターであり、議論プラットフォームです。完全にフリーでオープンソースなソフトウェアであり、どのような企業からも管理されていません。このことが意味するところは、広告やトラッキングまたは公開されていないアルゴリズムが無い、ということです。コンテンツはコミュニティ内にまとめられるため、興味のあるトピックを簡単に登録でき、興味の無いトピックは無視できます。投票スコア機能は、最も関心を引いたコンテンツをトップに表示させるために利用されます。
これだけでは少しわかりにくいかもしれないので、いくつか機能をピックアップしながら、説明します。
すでに議論にもあるとおり、趣旨としてはRedditのようなサービスになります。投稿されるものに関しては
という階層構造になっており、コミュニティー(例えば、ここは「哲学カフェ(日本語)」です。)にその趣旨に沿った投稿(ここでいえば「Lemmyサーバー」「Lemmyサーバーというものを今回初めて聞いたんだけど…」)が投稿され、それについての議論がコメントという形式で議論ができます。
Lemmyの特徴として
という特徴があります。
このサーバーでは、哲学カフェ的な内容(と言っていますが、厳格にするつもりはありません。)に関して議論することが目的として構築され、このコミュニティではその日本語の議論を行うことを目的としています。
ルールに則った上ではありますが、気軽に思ったことを積極的に議論できるプラットフォームを目指しています。
「多種多様なサービスが連合できること」がアドバンテージになるのであれば、APIの利用に制限がなかった頃のTwitterもそうなのではないかと思います。 Twitter公式のUIがあったといえ、APIを利用したクライアントサービスをユーザーは利用することで、「好きな機能のあるサービスが同じ言論空間の中から選べる」ということに関しては享受できていたのではないでしょうか?
私の中での大きなFediverseの特徴として
などがあります。特に、外の世界から不思議がられるのは多種多様なサービスが連合できることだと思います。 自分の好きな見た目、好きな議題、好きな機能のあるサービスが同じ言論空間の中から選べるというところに居心地の良さがあるのかもしれないなと自分では思います。
理系職に就くためには大学などで理系の学部を出る必要があります(もしくは、実際になくてもあるように心理的なハードルがあるように思います。)。大学において考えると、理系学部と文系学部の違いは大きく2つあるように思います。
まず、学費の違いについてですが、駿台のサイトを見ると、理系が平均で1,566,262円、文系が平均で1,188,991円とされています。特に私学になった場合には理系学部の学費は高い傾向にあり、そうした状況からも理系離れにつながっているのではないかと思います。
次に、入学難易度の違いです。高校の勉強の時点で理系→文系の転向は比較的容易であるように感じますが、文系→理系への転向は難しいように感じます。また、数3やその他理系科目を履修する必要があるなど、たとえ理系に興味があっても勉強に自信がない生徒は萎縮し、文系を選んでしまうのではないでしょうか。
実際私はそのような経緯で文系を選びました。自分の思い込み以上に理系のハードルというのは低かったのかもしれませんが、当時はとても理系を選べるような覚悟がありませんでした。