たぶん「善人は多く、悪人は少ない」という事実が観測されています。 これは「統計的性善説」とでも呼べるでしょう。 善人が多くなければ社会は成り立たず、社会的動物である人間は存在できず、あなたも存在しなかったのです。 あなたが存在するということは、あなたにとって都合の良い社会がすでに存在し、そのためには善人が多くなければならなかったのです。
たぶん「善人は多く、悪人は少ない」という事実が観測されています。 これは「統計的性善説」とでも呼べるでしょう。 善人が多くなければ社会は成り立たず、社会的動物である人間は存在できず、あなたも存在しなかったのです。 あなたが存在するということは、あなたにとって都合の良い社会がすでに存在し、そのためには善人が多くなければならなかったのです。
そもそも「善人」ってなんでしょうか?私は行為そのものに「善」や「悪」がそれぞれの集合体や個の立場によって生まれるだけで、その善悪が人に属するとはなかなか思えません。
統計は、空間的な統計と、時間的な統計があります。 一人の人に着目した場合、その人が長い時間活動すると、良い行動をした時間の方が、悪い行動をした時間よりも、ずっと長いことが期待されます。これが統計的性善説の、時間的統計の主張です。 一方で、ある瞬間に着目した場合、良い行動をしている人の数の方が、悪い行動をしている人の数よりも、ずっと多いことが期待されます。これは統計的性善説の、空間的統計の主張です。 決して善悪が固定されているわけではありません。
ここで言われる「良い行動」と「悪い行動」はどのように定義されるでしょうか? 文脈からはおさかなさんの言われる
が近いかなとは思いますが、この場合「善人」が多いほうが「世論」になり「社会」になるので必然の結果というか、性善というよりは善があとにくる結果というか名前なのかなと思います。
そうですね、善があるから社会が維持されるというよりは、社会が維持されていることが善であるとも言えるし、同時に起こっているわけです。 なので、善悪の定義を外に求めているわけではなく、内包しているのです。 また、これは実際に観測されることを解釈しただけであって、必然の結果だというのは、その通りです。 見方によってはトートロジー、何も言っていないことにしてしまうことも、できるでしょう。 宇宙論で使われる人間原理と同じ構造です。