写真という表現は、絵を描いたり彫刻を彫ったりするのより楽だから、でしょうか。写真と絵の関係となると、19世紀の写実主義とか印象派の誕生とかカメラ・オブスクラとか、そういう大学の講義で聞いたような話を思い出しましたが、この議論の出発点からするとそっちの方の話はちょっと違うか。
「盛る」は2022年度の文化庁の調査で取り上げられ、「映える」は「今年の新語2020」に入選した、どちらもかなり新しく、そして今後それなりの期間使われていきそうな言葉です。
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/shingo/2020/archive/2018/Preference02.html 「景色や小物、スイーツなど、見映えがいいものを「ばえる」と表現します。ただし、撮影・投稿したいほど、という語感があります」と今年の新語のページでは説明されています。盛るも映えも、(当然にカメラ機能と共有機能が付いた)スマホ時代の言葉だとも言えそうです。
コスモ🌌とは恐れ入りました! 破調、シンコペーションはめちゃくちゃ納得!
比喩としての安定化は分かるような気がしますが、実際のダメージジーンズはめっちゃ不安定です。 履く時に足の指をひっかけるなどして穴を広げちゃったのは履く人みんなやったことあるんじゃなかろうか……。
私は、フェディバースと言ったら9割以上はActivityPubというイメージを持っていました。 https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Fediverse_branches_1.2.png
写真は、分野というか用途がすごく広いものというのは同意します。 写真は、証明書、証拠、商品、思い出、記録、芸術……様々なものになりえる。
通信プロトコルと言うより、Federation(連合)の概念の方がより芯に近しいですかね。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Federation_(information_technology)
マストドンが日本で流行り始めた2017年に使われていた古いものはOStatusという名前の規格で、さらに古くはOpenMicroBloggingというのがあったそうです。
づほさんのおっしゃる通りです、図星です。私は間違いなくダメージジーンズにそういう気持ち、愛着はあります。 私以外の人、世の中にどれくらい一般化できるのかは……どうなんだろう……(分かりません)。