木になるみかん、それを摘み取ったらそのみかんは生きている木から分離します。摘み取ったあとでも冷蔵したら成熟が遅くなったりするなど、生命としての活動をうかがい知ることができます。 でも摘み取ったあとのみかんは栄養供給などは途絶えており、可能性としての生はある程度なくなってしまっているのではないでしょうか? 皆さんはどう思いますか?

  • yoheizuhoOPMA
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    2 months ago

    死を待つだけとはいえ、生命活動は継続されており、その意味で生きているという直感は私も正しいように感じます。

    昆虫の成虫や人の生殖細胞と同じく命を次に繋ぐために死ぬまでの短い時間を「生きている」ことになりませんか。

    例えば、これがみかんではなく、アボカドなどであった場合、運よく熟しておりかつ落ちた場所に生育環境が整っていればそれは新しい命として芽生えるはずです。そういう意味で果実というのは繁殖行動の結果なのでそれは新しい命として生きているというのはおそらく多くの人の納得の行く結論にも思えます。

    では、種無しぶどうなどの品種はどうなるでしょうか。それらの果実は命を次につなぐ可能性がまったく無いでしょう。その後の生の可能性という意味ではその種無し品種の木そのものが生きていないと言えるかもしれません。

    食べたあとに身体の一部として生き続けるというのは非常に興味深い考え方です。直感的に日本の「いただきます」という文化にも通づるなにかを感じます。食物連鎖や生態系ピラミッドなどは一つの生命であると定義づけることもできるでしょうか

    • たかし
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      2 months ago

      無しぶどうなどの品種はどうなるでしょうか。

      種無しぶどうの実は生命活動が維持されて居ても、トカゲの尻尾と同じく切り離されたものですね。

      木そのものに繁殖能力が無い場合でも成長して葉っぱや枝がついていくことから「生きている」と感じますが、微妙なところです。

      食物連鎖や生態系ピラミッドなどは一つの生命であると定義づけることもできるでしょうか

      興味深いです。

      人も動物も植物もDNAを持った細胞の集まりであり、捕食とは細胞同士が個体を跨いで資源を受け渡すことでもあると感じます。