- cross-posted to:
- philosophy_cafe_ja
- cross-posted to:
- philosophy_cafe_ja
木になるみかん、それを摘み取ったらそのみかんは生きている木から分離します。摘み取ったあとでも冷蔵したら成熟が遅くなったりするなど、生命としての活動をうかがい知ることができます。 でも摘み取ったあとのみかんは栄養供給などは途絶えており、可能性としての生はある程度なくなってしまっているのではないでしょうか? 皆さんはどう思いますか?
木になるみかん、それを摘み取ったらそのみかんは生きている木から分離します。摘み取ったあとでも冷蔵したら成熟が遅くなったりするなど、生命としての活動をうかがい知ることができます。 でも摘み取ったあとのみかんは栄養供給などは途絶えており、可能性としての生はある程度なくなってしまっているのではないでしょうか? 皆さんはどう思いますか?
種無しぶどうの実は生命活動が維持されて居ても、トカゲの尻尾と同じく切り離されたものですね。
木そのものに繁殖能力が無い場合でも成長して葉っぱや枝がついていくことから「生きている」と感じますが、微妙なところです。
興味深いです。
人も動物も植物もDNAを持った細胞の集まりであり、捕食とは細胞同士が個体を跨いで資源を受け渡すことでもあると感じます。