他の学問では探求できない真理を求めていくのが、哲学の役目だと考えています。
価値の定義・再定義=>生きるための意味付けという役割を哲学が担っていると思います。
発展していく時代の中で、人間社会での人間の役割も移り変わっています。
例えば、最近でいうとAIによる「シンギュラリティ」なんていう言葉が度々話題になります。最近では、「AIに置き換えられない仕事」などが仕事探しのトレンドワードとして扱われているような気もします。最近では生成AIがそこそこ高度な文章や画像、動画を作れるようになりました。
これらの発展は多くの物事に対して、完成度の高いものを生み出せる存在(生成AI)が身近にふれられるようになり、発達段階の人間や、何らかの初学者の人間に大きな無力感を与えてしまうような気がします。
その無力感に立ち向かえるのは、価値の再定義ができる哲学ではないかなと思います。
「哲学」をどのように解釈するかよるかと思います。私は、以下のようないくつかの解釈を思いつきました。
1.哲学とは、生活の態度のことである(これは、「ストア派」のような、初期の哲学のあり方から連想しました)。 これは、「べき」に関わるというよりも、「態度」そのものを指すとも考えられそうですし、「より良い生活の態度を探求すべきだ」等と言えるかもしれません。
**2.哲学をするとは、対話をすることである。**あるいは、対話を通してより良い考え方や態度、対話それ自体を楽しむ等のことを得ることである。 これは、1とも関連して、かなり広い捉え方になりますが、哲学を「対話をすることそれ自体」と捉えるならば、わざわざ他の学問と比較したりする必要はないような気がします(ある哲学カフェで、様々な分野の残滓が哲学だ、というような後ろ向きとも取れる意見があったので、反論のように述べてみました)。
3.哲学とは、存在や世界に関して、より良い理論体系を提示するものである(あるいは、提示すべきである)。 このような形而上学的な考えに対しては、哲学固有なのか、あるいは本当にそれが必要なのか、という素朴な疑問があるかもしれません。しかし、個人的には仮にこの世界は物理法則で全て説明可能である、という立場をかなり肯定的に受け入れたとしても、結局のところそれは存在ないし世界に対して、ある特定の解釈しているに過ぎない(言い換えれば、他の解釈も可能である)のではないか、と考えています。その意味で、哲学は気兼ねなく存在や世界に対して考えることができるのではないかと思います
4.哲学とは、問うことである。 かなりシンプルなのですが、「哲学はこれをするべきだ」ということを抜きにして考えれば、こういうことなのではないかという気もします。わざわざこれを取り上げたのは、「哲学」ということに、(例えば、学問として、あるいは学問的な方法として)規範性があるものとして考えるか否か、ということを考慮するべきだろうか、という疑問が念頭にあるからです。私は、別に規範に関係なく、単に問うことなのではないか、とも思います。